研究を考えるとき、いつなんどきも「そのこと(研究の鍵となるもの)」がずっと、頭の中でぐるぐるしています。
「どうしてやろうと思ったのか」
「なぜやりたいのか」
「研究は楽しいですか?」と聞かれて楽しいといえる人が何人いるのでしょうね。
私は成果が出ないことはプロセス自体も大変苦しいことなので、
疑問が解決した時点で、「また、苦しみが続くのでは?」と
思うことさえあります。
恩師が「おもしろい研究になるといいと思います。 頑張るだけだと続かないから。」とおっしゃいました。
時には「塞翁が馬、ケセラセラとも。。。」根を詰める性格だからか、いまだに、心配していただくような状態です。
思い出したことがあります。
私が学生時代に
模擬株式トレーディングをしていたのですが(お金は持ち合わせていませんから)
「君はトレーダーには向かない」と言われたことがあります。
「1円に一喜一憂するようじゃね」
『いいことも悪いことも 同様に受け取る術(すべ)が必要だった』のだと
ウン十年後に理解できたわけでして(笑)
一喜一憂しないためには、自分と向き合いネガティブな感情さえも受け入れなければなりません。
ネガティブな出来事もポジティブな出来事も毎日の繰り返しであり、同じように受け入れると
心が沈みすぎることも、高揚しすぎることもないように思います。
「感情がジェットコースターのように激しく振り回されないようにすることが日々を楽に生活できる。」
と頭では分かっています。
実は、私の年齢であっても、常に「自分と向き合えない」ものです。
自分自身を許すことができず
「頑張っていることを認めてもらいたい」とひそかに思い続けてしまうものです。
「考えること」
人間に許された財産であり、大脳が発達した生物としての階層の頂点に立つ宿命なのだと思います。
少しでも気持ちが楽になるように、楽しいと思えるようにするには、
結果に一喜一憂しないことなのだと思います。その姿勢で臨む限り、結果はついてくるように思います。
新年度 ぼちぼちやっていきたいですね。